柔らかい面と硬い面の色の違い

包丁の表面を磨いていると、柔らかい部分と硬い部分の色が違って見えるようになる。

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しかし、実はこれをさらに徹底的に磨き込むと、柔らかい面も硬い面も同じような鏡面になり、境目の線は見えなくなる。

鏡面とは光が入射角に応じた角度で正反射する状態のことだ。

そもそもある物が見えるということは、光がその物の表面に当たって反射して、私たちの目に届くということだ。
まっ暗闇でボールを投げたら跳ね返ってきて体にぶつかったので、前に何か障害物があることがわかった、というのと、理屈は同じことである。音波を使ったソナーも同じ理屈だ。ボールや音と同じ役割を光(光波/光子)が果たしているのである。
その光が網膜上の視細胞にぶつかると、視細胞が電気信号を発信する。するとその電気信号が視神経を介して大脳の視覚野に伝達され、脳がそれを整理して映像という形で理解するのである。
皮膚には触覚や痛覚や温度覚があるので物に触れた感触や痛みや温度を感じるが、光が当たったということを感じることはできない。光は重量ゼロの特殊な粒子なので肌に当たっても感じられないのだ。光には質量は無いがエネルギーはあるので、強い光は熱として感じらるが、それが光なのか光ではない他の電磁波なのかを区別することはできない。
目だけが光を特有に感じるセンサーなのである。

光は波のように振動しながら空間を飛びまわっている。光の振動する幅を波長という。

波長

人の目は光の波長も識別する。波長の比較的長い光は赤、短い光は紫として認識される。色が波長なのだ。
リンゴが赤く見えるのは、リンゴの表面が赤い波長の光だけを反射して、ほかの波長の光を吸収しているからで、海が青いのは同じく水が青い波長を反射するからだ。

話を鏡に戻すと、鏡は何色なのだろう?
実は、鏡には色はない。全ての波長の光を等しく反射している。
そもそも鏡面というのは色のことではない。先述のとおり光を入射角に応じて正反射する性質を有する、物の表面の状態のことだ。
ほとんどの物の表面はミクロレベルで見ると凸凹があるので、ぶつかった光はいろんな方向に乱反射する。

しかし非常に平滑な物質の表面では光が乱反射せず、ぶつかったときと同じ並びで跳ね返るので、光がその物質の表面にぶつかる前に反射してきた物の姿をそのまま伝えることができるのだ。

反射


鏡の表面に細かい傷をつけて光が正反射しないようにすると、白く曇って見えるようになる。
白という色は全ての波長の光を等しく反射している状態だ。ちなみに黒は反対に全ての波長の光を吸収している。

物が見えるということにおおまかに言うと以上のような現象だ。


刃文や刃境線が現れる理由は硬軟差である、という話に戻そう。

刃物の表面の硬軟の差によって曇り具合に違いが生じるのは、同じように研磨したときに硬い面より柔らかい面の方がミクロレベルで見ると凹凸が大きくなるためだ。
そのせいで、乱反射の度合いに違いが生じるため、曇り具合が違って見えるのである。

そして先述したように、実は徹底的に磨きこんでゆくと最終的には硬い部分も柔らかい部分も同じ鏡面になってしまう。
どちらも最終的には凹凸の無いまっ平らな状態になるので、見え方としては完全鏡面になるわけだ。そうなると、刃文や刃境線は見えなくなってしまう。ダマスカス模様も同じような理屈で現れるので、やはり磨きこむと模様が消えてただの鏡面になってしまう。
刀の研ぎではそのような状態を「肌が伏さってしまう」と言い、刀剣鑑賞の醍醐味が失われてしまうので嫌われる。
多くの人造仕上砥石は硬さと大きさが揃った画一的な砥粒が内包されているので、研ぎ込むと鏡面に近づいてゆくが、おそらく天然の内曇り砥石に含まれる研磨粒子は大きさや硬さがランダムなので、鉄肌の硬い部分と柔らかい部分の差を目立たせてくれるのだと思う。


さて、刃文も刃境線も、刃体表面の硬軟の差によってそれが現れるという物理的な理屈は同じである。
違うのは、どうやってその硬軟差をつけているのかという、方法だ。
刃境線は、もともと物理的に硬さに違いが生じる異なる種類の鉄を接着したためにできる硬軟差だ。
これに対して刃文は、焼き入れをするときに「土置き」という工夫をすることによって、鉄の表面に硬さの違いを生じさせている。

(つづく)
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